美しい女性と否かの決定的な違い

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今朝、いつものようにストレチを
しようと、ヨガマットに座った際
ヒップに痛みを感じ、首を傾げた



ヒップに青あざが出来るほど
何処かに打つけたであろうかと
記憶を辿っても、思い出せない



暫くして、これだと思ったのは
情けないが、単なる筋肉痛である



曜日によりコンサルティングの
セッションが多い日やハイヒール
レッスンが多い日と様々であるが
昨日は朝から連続してハイヒール
レッスンが重なり、私のヒップの
筋肉痛は、これが原因であった



昨年末の体調不良のエクササイズ不足



そして、モナコのバカンスで
二日間、素足のエクササイズに
向き合う事が出来なかった事が
今も引きずっており、集中的な
レッスンがバカンスから戻らない
ヒップの筋肉を目覚めさせた



この目覚めのサインが筋肉痛である



後ろ姿も美しく、追い越して
振り返ってまで見てみたいと
思われる女性

 

わざわざ振り返ってまで見ても
美しいと思われる女性

 

それは産まれ持ったものではなく
自分の意識と努力で表現出来ると
”ハイヒールの哲学”を通して学んだ事



こちらの文章は
後ろ姿も振り返られてもより
camélia Ayakoさん
文章の一節である



多くの人は前からの美しさを
意識するが、私は前からよりも
寧ろ、後ろ姿が如何に美しいか



強いて付け加えるならば
後ろ姿と横の姿だと思っている



ご存知の通り、後ろ姿と横の姿は
完全に死角であり、自分では
鏡を見て確認をすることが出来ない



しかし、自分以外の他人とは
360度、あらゆる方向から
私たちが意識をしていようが
無意識であろうが見られている



その無意識な無防備な姿を
唯一、知ることが出来ないのが
当本人である、私たちだけである



この事実の重さに人は何処まで
耳を傾け、行動へと移すことが
出来るであろうか



恐らく、全体の0,1パーセントにも
満たないのである
だからこそ、真摯に受け止めて行動を
移すことが出来る人は成功素質がある



後ろ姿を褒められることこそ
最高の勲章であり
無意識が無意識でない意識の
サインでもある



美しい人は何も考えずに
在りのまま美しいと思っているなら
大きな間違いである



美しいと感じさせる女性は
全て計算された意識から成り立つ
脳と身体を使い表現しており
美しい女性を否定することや
諦めることは浅はか過ぎる



何度も申し上げているが
そのままの姿が美しいのは
20代までの女性と地球が齎す
自然の美しさである



年齢を重ねれば、重ねるほど
そのままの姿が美しいとは
絶対に有りえないのである



今朝、Peterと小学校へ向かう際
突然、彼が私に告げた



「ママン、知ってる?
 先週の土曜日に○○を歩いていたら
 たくさんの人がママンを見ていたよ。」



と、嬉しそうだった



勿論、私は気づいてはいなかったが
パリにいながらもアジア人との
多少なりのハンディキャップがあっても
対等にいられるのは歩く姿と姿勢と
自分への誇りである内側から溢れる
自信であると思っている



そして、息子が鼻高く満足そうに
する姿、表情を目にすると私は
心から嬉しくてたまらない



子供に誇りを持ってもらえる
美しい母でいたいと思う



ここで、敢えて伝えたいこと



美しいか否かは脳の使い方が
他の方と少し異なること
それを私はハイヒールと云う仕事を
通して伝えているに過ぎない



その脳とは、一流の大学へ入ること
でもなく、少しの意識の秘密を
知っているか否かだけなの違いである