パリと共鳴すること

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lundi de pâquesの今朝は
いつもの祝日より遥かに静かで
パリの空気は静まり返っていた



子供達のイベントでもあるが
今朝、Peterは6時前に目覚めて
ウサギが隠したとされる卵を探し
見つけては大興奮であった



昨日の日曜日はhusbandの父に
Peterをお願いし、二人だけの
日曜日を久々に過ごしたが、私は
朝からシャンパーニュを開けた



シャンパーニュの不思議と魅力は
朝から口にした時の幸福感であり
どの時間帯に口にするより美味しく
甘い蜜のような香りさえする



午後はフランス映画を観ながら
私はいつの間にかシエスタをしたが
徹底的なLazyな日曜日を過ごした



未だ、エネルギーの戻りが完全で
なかったので、止めを刺すかの如く
昨日はLazyになるだけLazyになり
この2、3日は夜も眠るだけ眠った



そして、今日はこれ以上は眠れなく
朝、身体も目覚め、ようやく
エネルギーも余るだけ蓄えることに
成功をした



今だから言えるが、今回の私の
原因は完全にover workである



好きな仕事とは、のめり込み過ぎると
デッドラインを超えている事も気づけず
身体やマインドからのメッセージさえも
見逃してしまうのがリスクでもあるが
最近のブログで自分に言い聞かせていたが
それでは足りなかったのが反省点である



エネルギーが枯渇した後の自分の状態に
触れた時に、これは廃人そのものでは
なかろうかと客観的に感じてはいたが
私の中で最近、欠けていた大きなものを
見つけたことのためであったと感謝となった



もう少し、パリの土地に宿る
エネルギーだけに焦点を当てて
呼吸を合わせようと思った



それは、どういうことかと云うと
今朝のlundi de pâquesの空気感
又は、日曜日の特別な空気が流れる
香りであったり、平日の朝の活気ある
空気であったり、パリと云う土地には
曜日により本当に漂う空気が異なる



理由は、人々が放つ気である



これは日本で生きている時には
感じることが出来なかった
独特の空気感であり、この地が
持つ力とは人々のエネルギーが
ダイレクトに反映している過ぎない



本来は人が持っているエネルギーであるが
これが自然の偉大な力と重なり共鳴すると
私たちが、どう逆ろうとしても無力である



この自然のエネルギーと共鳴し
生きることを私は今回の自分の
エネルギーの枯渇から学んだ



これは私がパリと共鳴するからであり
パリに共鳴しない人が同じようなことを
しても何も変わらない



日本に共鳴する人は日本が持つ
エネルギーの波長に合わせるべき
であり、これは共鳴するものが
何かによることも大切なことである



以前に告知をさせていただいたが
フランスの新年度が始まる9月より
オートクチュールレッスンを現在の
500ユーロから750ユーロへ変更を
させていただく



この背景は私が辿り着きたい場所である
フランス社会で自分の場所を築きあげる
ためであり、1レッスン500ユーロの
レッスンを提供するプロフェッショナルと
750ユーロを提供するプロフェッショナル
とでは醸し出すオーラやエネルギーが
異なるのは当たり前であり、そのためである



現在の料金に引き上げた時にも
全く同じ理由で今に至ったが
自分が狙いたい場所へ少しずつ
エネルギーを近づけてゆき、今は
このレベルで得るものを得たため
このままの場所に留まるならば
自分の成長を止めるまでとなった



今のタイミングだからこそ、もっと
上のエネルギーへ到達をさせたいと
自然に思えたことは自分には嬉しく
同時に大きな挑戦でもある



初めての告知の際に、オートクチュール
レッスンを愛してくださる方々からは
料金が上がろうともパリまで足を運ぶのは
変わらないと仰っていただき、だからこそ
素晴らしい作品を提供したいと思う



もし、レッスンを受ける前に料金が
高いと感じ、レッスンを受けようと
思わなくとも私には痛くも痒くもない



自分のビジョンはレッスンの成功
ではなく、自分自身の成功であり
オートクチュールはゴールではなく
ただの通過点に過ぎないこともあり
クラインアントの需要には流されない



しかしながら、扉を叩いてくださる
クライアントには、惜しみなく
魂と命をを懸けて向かい合うのである



パリと共鳴すること



これが私の大きな軸である



忘れていた訳ではないが
確かな感覚を思い出したことは
私なりに非常に大きく、lazyな
日さえも素晴らしい機会となった



たっぷりと休養をして良かったと
思う、もう一つの大きな理由とは
オートクチュールレッスンも徐々に
忙しくなり、来月の中旬までは
体力勝負となるので、この教訓を生かし
パリと共鳴しながら生きようと思う